名所・施設一覧
吉野山(よしのやま)
大峯連山の北の端から、南に約8キロメートルつづく尾根が吉野山。古来より日本一の桜の名所として名高いところです。
吉野山の谷から尾根を埋める桜はおよそ3万本。下千本(吉野駅付近)から中千本(如意輪寺付近)、上千本(吉野水分神社付近)、奥千本(西行庵一帯)へと花期をずらして順に咲きのぼる様子は壮観です。
4月上旬から下旬まで桜花を賞でることができるのは吉野山ならでは。
また、馬の背のような山は役行者(役小角)を開祖とする修験道の寺や、南朝ゆかりの史跡、西行や芭蕉が逍遙した文学の史跡など、みどころがたくさんあり、桜のあとは新緑、蝉しぐれ、紅葉、荘厳な冬景色…と四季それぞれの美しさで訪れる人々を魅了します。
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吉野神宮(よしのじんぐう)
明治22年明治天皇は後醍醐天皇の偉業を深く偲び、吉野神宮の創立を命じました。明治25年に執り行われた鎮座の際には霊代の奉納と共に、それまで吉水神社に奉安されていた後醍醐天皇の尊像も吉野神宮の本殿に奉還されました。
大鳥居をくぐり、こんもんとした桜やかえでの林をぬけて境内へ入ると、明るく広い台地が目の前に広がります。祭神は後醍醐天皇。摂社は日野資朝、児島高徳など7人の功臣たちをまつっています。社殿は約10年を費やして1932(昭和7)年に改築が完成。古今の神社建築の粋を集めた、総桧造りの見事な建物です。この地は、大塔宮(後醍醐天皇の皇子、護良親王)が吉野に挙兵されたおり、北条幕府方に占拠され本陣になったと伝わるところ。正北面を向く本殿は、京を恋しく思われた後醍醐天皇の心情をうつしたのだといわれています。展望がよく、ここから葛城、金剛の山並みが見渡せます。
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吉水神社(書院・重文)(よしみずじんじゃ)
もとは吉水院という、金峯山寺の格式高い僧坊でしたが、明治のはじめ、後醍醐天皇、楠木正成、宗伸法印をまつる神社に改められました。
吉野へ潜行された後醍醐天皇を、吉野大衆の中でも特に力をもっていた住職、宗信法印がお迎えし、吉水院は一時行宮となります。源義経が静御前や供のものと逃げのびてきたのも、太閤秀吉の花見の本陣となったのもここです。
当神社には南朝の古文書や武具、秀吉の花見に使われた楽器など、100点を超える宝物が残っています。また、初期書院造りの傑作といわれる書院建築で、義経潜居の間、後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間があります。うち、義経の間が室町時代様式で、他は桃山時代以降のもの。
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金峯山寺蔵王堂(国宝)(きんぷせんじざおうどう)
金峯山寺は吉野山のシンボルであり修験道の根本道場です。金峯山とは吉野山から山上ヶ岳(大峰山)にいたる山々の総称で、“金のみたけ”という意味。山上ヶ岳にある大峰山寺への玄関口の役割を持っています。創立年代は不明ですが、その昔、役行者が金峯山を開き、平安時代に聖宝理源大師が蔵王権現像を安置したといわれています。以降、中世において隆盛をきわめ、現在も金峯山修験本宗総本山として偉容を誇っています。
蔵王堂は、金峯山の高台にそびえたつ、東大寺大仏殿に次ぐ木造の大建築で、現在の本堂は1592(天正20)年に再建された、室町末期を代表する建造物です。正面5間、側面6間、建物の周りに藻腰を付けた入母屋造り、桧皮葺。高さが約34mもあるので、吉野を巡る折々にその威風を見ることができます。本尊として3体の蔵王権現像をまつり、中尊の高さは7m余りの巨像。堂内は内陣と礼堂からなり、松やチャンチン(ツツジの一種)など自然木を素材のまま使った柱68本が林立するさまは豪壮です。また、内陣の2本の金箔張りの化粧柱や須弥壇は太閤秀吉が花見の際に寄進したものといわれ、桃山建築の美しさを残しています。
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