名所・施設一覧

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名所・施設一覧

  • 大日寺(だいにちじ)
    吉野山エリア

    村上義光・義隆父子の菩提寺。いまは真言宗の小堂ですが、もとは金峯山寺の一院。藤原期の五智如来坐像を安置しており、金剛界大日如来を中尊として、四方に配した4体の仏がすべてそろっているのは珍しく、重要文化...

  • 勝手神社(かってじんじゃ)
    吉野山エリア

    吉野山山上へのぼる街道と如意輪寺への分岐にあります。後方の袖振山は、大海人皇子(のちの天武天皇)が社前で琴をかなでられたとき、天女が袖をひるがえして舞ったという伝説で知られています。 境内は、義経と別...

  • 東南院(とうなんいん)
    吉野山エリア

    東南院の開基は役行者と伝えられています。開山の際に、本堂とともに本堂から巽(東南)の方角にあたるこの地に建てられたと伝わります。 1684(貞亨元)年、俳人松尾芭蕉がここに滞在したとき、『野晒紀行』に...

  • 吉野朝皇居跡(よしのちょうこうきょあと)
    吉野山エリア

    1336(延元元)年、吉水院に難を避けられた後醍醐天皇は、次に蔵王堂の西にあった実城寺を皇居とされ、寺号を金輪王寺と改められました。 後醍醐天皇は悲運の生涯をここで閉じられましたが、その後、南朝3代の...

  • 金峯山寺 仁王門(国宝)(きんぷせんじにおうもん)
    吉野山エリア

    銅の鳥居から200m余り。三間一戸、人母屋造り、本瓦葺の楼門で、門前町本通りのつきあたり、右段の上に建っています。1456(康正2)年に再建されたもの。 南向きの本堂が山上ヶ岳からの巡礼を迎えるのに対...

  • 金峯山寺 銅の鳥居(重文)(きんぷせんじかねのとりい)
    吉野山エリア

    黒門からの急坂を登りつめたところにあります。高さ約7.5m、柱の周囲約3.3m、すべて銅製。1348(正平3)年に高師直の兵火で焼失したあと、室町時代に再建されたものです。 正しくは発心門。山上ヶ岳ま...

  • 金峯山寺黒門(きんぷせんじくろもん)
    吉野山エリア

    金峯山寺の総門で、昔は公家大名といえども槍を伏せ、馬をおりて歩いたといわれます。 ...

  • 金峯山寺蔵王堂(国宝)(きんぷせんじざおうどう)
    吉野山エリア

    金峯山寺は吉野山のシンボルであり修験道の根本道場です。金峯山とは吉野山から山上ヶ岳(大峰山)にいたる山々の総称で、“金のみたけ”という意味。山上ヶ岳にある大峰山寺への玄関口の役...

  • 天王橋(てんのうはし)
    吉野山エリア

    大塔宮が吉野に蜂起されたとき、三空堀に見たてられた谷にかかる大橋・天王橋・丈の橋を吉野三橋といいます。 大橋は七曲り坂を登りきった攻が辻のすぐ上手にある、朱塗りの欄干の橋。天王橋は竹林院近くの小さな橋...

  • 大橋(おおはし)
    吉野山エリア

    大塔宮が吉野に蜂起されたとき、三空堀に見たてられた谷にかかる大橋・天王橋・丈の橋を吉野三橋といいます。大橋は七曲り坂を登りきった攻が辻のすぐ上手にある、朱塗りの欄干の橋。天王橋は竹林院近くの小さな橋で...

  • 村上義光の墓(むらかみよしてるのはか)
    吉野山エリア

    吉野神宮の南約1km、不動坂をのぼりつめた丘の上に立つ宝篋印塔が、信濃の武将、村上義光の墓。義光は1333(元弘3)年に大塔宮の身代りとして、蔵王堂仁天門上で自害しました。その首が大塔宮のものでないか...

  • 吉野神宮(よしのじんぐう)
    吉野山エリア

    明治22年明治天皇は後醍醐天皇の偉業を深く偲び、吉野神宮の創立を命じました。明治25年に執り行われた鎮座の際には霊代の奉納と共に、それまで吉水神社に奉安されていた後醍醐天皇の尊像も吉野神宮の本殿に奉還...

  • 柳の渡し(やなぎのわたし)
    上市・吉野エリア

    昔、吉野川には椿・柳・桜の3つの渡し場がありました。なかでも千年余り前、聖宝理源大使が開いたといわれるこの柳の渡し(現六田の美吉野橋)は、大峰七十五靡(修行場)の最初の行場として知られています。かつて...

  • 吉野山(よしのやま)
    吉野山エリア

    大峯連山の北の端から、南に約8kmつづく尾根が吉野山。古来より日本一の桜の名所として名高いところです。 吉野山の谷から尾根を埋める桜はおよそ3万本。下千本(吉野駅付近)から中千本(如意輪寺付近)、上千...