天然記念物・妹山樹叢について
妹山樹叢について
【名 称】 |
妹山樹叢 |
【所 在 地】 |
吉野町大字河原屋字妹山 |
【指 定】 |
国指定天然記念物 |
【指定基準】 |
植物の部第1 |
【概 要】 |
吉野川の岸辺にあり、その地域が小さいにも関わらず、天台烏薬その他暖地性植物など、希少な植物が確認されています。 |
【指 定 年】 | 昭和3年3月24日(内務省告示第70号) |
【管理団体】 | 吉野町(文化財として指定されている妹山(植生など)の巡視・清掃、および危険木等対応などを行っています) |
【土地所有者】 |
国ほか |
妹山樹叢書の立ち入りは...
原則、立ち入りは管理団体である吉野町として認めておりません。立ち入りを希望される方は、吉野町の許可を受ける必要があります。許可を希望される方は、事前に吉野町役場産業観光課へお問い合わせください。
【制限の根拠】 『天然記念物妹山樹叢 緊急調査報告書』(吉野町教育委員会、1991年刊行) および『増補吉野町史』(増補吉野町史編集委員会編、2004年刊行)に記載しています。 |
妹山樹叢の植生について
カナメモチ-ツブラジイ群集に分類されています。
樹叢内でも場所によって若干植生の傾向が異なり、イチイガシグループ、シラカシグループ、ヒノキグループ、典型グループなどに大別できることが確認されています。
※『天然記念物妹山樹叢 緊急調査報告書』(吉野町教育委員会、1991年刊行)より
妹山(樹叢)の略史
和暦 |
西暦 |
事象 |
貞観元 |
859 |
大名持神社奉仕される。以来、斧鉞の災をみないともいわれる。 |
明和8 |
1771 |
妹山と吉野川をはさんで対岸にある背山を舞台にした『妹瀬山婦女庭訓』が初演される。 |
明治44 |
1911 |
小泉源一博士が奈良県内でツルマンリョウを発見。確認した「大名持神社」にちなんで、Anamtia stolonifera Koidz.と命名。 |
昭和2 |
1927 |
大蔵省が妹山の伐採を計画。これを惜しみ、阪本仙次指導の下、岸田日出男と植物学者・岡本勇治が活動する。 |
昭和3 |
1928 |
国天然記念物に指定される。 |
『天然紀念物及名勝調査報告 植物之部 第八輯』に掲載される。この報告書を作成する際の現地調査には、岡本勇治氏・岸田日出男氏が同行している。 |
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昭和12 |
1937 |
岸田日出男著の「栄誉ある表彰を拝受して」『史跡名勝天然記念物』12-1にて、妹山樹叢が指定された経緯が触れられる。 |
昭和15 |
1940 |
牧野富太郎、妹山樹叢を訪れ、ツルマンリョウを採取。 「類ひ無き蔓万両を御山なる妹山に採る。吾れ幸ある日」 ※奈良県の許可をうけて採取されています。 |
昭和18 |
1943 |
小清水卓二著の『大和の名勝と天然記念物』にて、紹介される。 |
昭和28 |
1953 |
『奈良縣総合文化調査報告書 吉野川流域 龍門地区』で妹山樹叢の植生についても言及される。妹山の植物相にいては、シダ植物56種、裸子植物19種、被子植物双子葉類347種、単子葉類71種が記録されている。 |
昭和55 |
1970 |
『大和百年の歩み』にて、紹介される。 |
昭和56 |
1971 |
菅沼氏によって植生区分が検討される。 |
昭和57 |
1972 |
吉野川津風呂県立自然公園の第1種特別地域に指定される。 |
昭和53 |
1978 |
菅沼氏によって植生区分が再度検討される。 |
昭和56 |
1981 |
昭和天皇が妹山樹叢に入り、中の植生を観察される。 |
犬養孝著の『万葉の道』第4巻で紹介される。 |
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昭和62 |
1987 |
大林太良著の『日本の古代:山人の生業』で紹介される。 |
平成元 |
1989 |
吉野町教育委員会で緊急調査が行われる。 |
平成2 |
1990 |
『奈良県史』第2巻で紹介される。 |
平成3 |
1991 |
『天然記念物 妹山樹叢 緊急調査報告書』が刊行される。この図書で、妹山樹叢の適切な保存管理について提言される。 |
平成7 |
1995 |
和田萃著の『日本古代の儀礼と祭祀・信仰』で紹介される。 |
平成16 |
2004 |
『増補吉野町史』で妹山樹叢の情報などが再度整理される。 |
上田正昭著の『探求「鎮守の森」』で紹介される。 |
このように、妹山樹叢は現代まで守られたり、研究されてきました。