吉野の年表(宮滝に関係するものを中心に)


時代

年代

内容

備考



縄文

早期


後期


晩期


吉野町宮滝や川上村迫などで人々が暮らし始める


宮滝式土器が近畿地方を中心に使われ始める


吉野町丹治や国栖周辺などで人々が暮らし始める


考古資料


考古資料


考古資料

弥生

中期


宮滝で竪穴住居や方形周溝墓がつくられる


考古資料


古墳

4世紀末


5世紀中頃


国栖人が応神天皇に酒を献じて歌を歌ったという


雄略天皇が吉野宮を訪れて狩りを行ったという


古事記等


古事記等









飛鳥







656年


659年


671年


672年


673年


679年


689年


698年


7世紀後半


斉明天皇が吉野宮をつくる


斉明天皇が吉野宮を訪れる


大海人皇子が吉野入りする


大海人皇子が挙兵し、壬申の乱が始まる


大海人皇子、飛鳥浄御原宮で即位。天武天皇となる


天武天皇が皇子たちの結束を吉野宮で誓約させる


持統天皇が吉野宮を訪れる。以後、30回以上訪れた


吉野水分神社に馬を奉って雨を祈る


役行者が金峯山で修業し、蔵王権現を感得する


日本書紀


日本書紀


日本書紀


日本書紀


日本書紀


日本書紀


日本書紀等


続日本紀


金峯山寺伝




奈良

8世紀前半


700年頃


724年


732年


吉野宮の池が埋められる


文武天皇や元正天皇が吉野離宮を訪れる


聖武天皇が吉野離宮を訪れる


朝廷が芳野監に命じて、雨が降るように祈らせる


考古資料


続日本紀


続日本紀


続日本紀



平安

898年


1007年


宇多上皇が菅原道真らと宮滝・龍門寺などを訪れる


藤原道長が金峯山に参詣して、経塚をつくる


日本紀略等


御堂関白記


鎌倉

1185年


1322年


源義経が兄の頼朝におわれて、吉野山へ逃れる


護良親王が吉野山で鎌倉幕府の軍勢と戦う


義経記


太平記



南北朝/室町

1336年


1339 年


1594 年


後醍醐天皇が吉野で南朝を開き、南北朝が始まる


後醍醐天皇が吉野でお隠れになる


豊臣秀吉が吉野山で大花見を行う


太平記


太平記


多門院日記







江戸

1604 年


1684 年


1772 年


1788 年


1818 年


1863 年

豊臣秀頼が吉野山の神社などを再興する


松尾芭蕉が吉野を訪れ、後に『野ざらし紀行』を記す


本居宣長が吉野を訪れ、『菅笠日記』をあらわす


上田秋成が吉野に吉野宮があったと主張する


龍門郷の村々が大規模な一揆『龍門騒動』をおこす


天誅組の変がおこり、人夫や資金が調達される


金峯山寺擬宝珠銘文


野ざらし紀行


菅笠日記


岩瀬の記


陣屋騒動百姓一揆記など

各家に残る文書等

明治


1890年


水本安吉が柴橋上流の岩礁を掘削し、吉野川の改修に寄与する。


石碑


昭和

1923年頃


1927年


1930 年


1956 年



1957年


1972年


1975年


1983年


1988年



澤瀉久孝が宮滝を訪れる。


中岡清一、森口奈良吉らによる吉野宮史跡所在地論争が起こる。


宮滝遺跡が発掘される。谷崎潤一郎が吉野を訪れる


六ヶ町村(上市町・吉野町・中荘村・国栖村・中龍門村・龍門村)

の合併が調印され、現在の吉野町が発足する


宮滝遺跡の内、22,625m2が国史跡に指定される。


三笠宮ご夫婦、宮滝遺跡を来訪される


宮滝遺跡の第二次発掘調査が実施される。


吉野町が史跡宮滝遺跡公有化事業を開始し、史跡指定地の保護を図る。


宮滝出土品収蔵庫で展示されていた宮滝遺跡出土遺物の再調査が行われる。



平成

1996年



2004年


2012年



2014年



2016年

吉野歴史資料館が建てられ、宮滝出土品収蔵庫内で保管されていた

遺物がすべて移管される。


紀伊山地の霊場と奥駈道が世界遺産に登録される


宮滝遺跡第1次調査出土縄文土器・石器が県指定文化財となる。

森林セラピーロード「吉野・宮滝万葉コース」が認定を受ける。


『吉野万葉整備活用計画基本構想』が策定され、宮滝遺跡の整備に向けて動き出す。


宮滝に残る開削跡などを構成資産とする日本遺産「森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしとこころ」が認定される。